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桂枝雀、古今亭志ん生、古今亭志ん朝

2004411

宇佐美 保

(本文中、敬称は省略させて頂きます)

 

 私は、桂枝雀が大好きでした。

でも、枝雀の最後が余りに痛ましくて以来彼の落語(CD等)を聞く事が出来なくなってしまいました。

 

 しかし、数か月前意を決して枝雀のCDを聞いてみました。

幸せが訪れてきました。

そして、直ちに、以前から欲しくて堪らなかったDVDの「桂枝雀全集(全40枚)」を購入しました。

以来、枝雀の落語の世界に浸っています。

 

 何故斯くも枝雀落語は私を魅了するのでしょうか?

その第一の要因は、彼の声です。

桂枝雀の発声が素晴らしいのです

 

桂三枝は、桂枝雀のCDの解説書(「同時代に生まれた幸せ」)に次のように記述しています。

 

 桂枝雀さんは、上方落語の昭和・平成における爆笑王だったと今改めて思っています。その枝雀さんと同時代の空気を吸えたということは、私にとりましては一番の喜びであり、また、噺家である自分の誇りでもあります。

 私は枝雀さんと違いまして、同じ上方落語でも、創作落語の世界へと進みました。それには理由がふたつほどあります。ひとつは私がマスコミの仕事をさせていただいているうちに自分の口調がどうしても古典落語の世界には合わないと感じまして、将来、自分の口調に合わせた落語を続けてゆくためには、今の新しい時代の落語を自分自身で作ってゆくしかないと思ったこと、それにもうひとつは古典落語の世界に枝雀さんがおられる限りは、古典落語で自分が頭角を現すということは至難の技であると考えたからなんです。

 枝雀さんのように古典落語をあんなにも面白おかしく伝えることが出来るお方というのは、これから先にはもう出てこられないだろうなと思います。……お客さんに古典落語の心であるとか雰囲気は伝えられたとしても、落語本来がもっている面白さを伝えるということにおいては、どうしても約束ごとであるとか、あらかじめ知識として知っておかなければならない事柄が多いので大変難しいことだと思います。それを枝雀さんはご自分のキャラクターを全面に出すことによって、お客さんの心にドーンと入ってゆくという方法を見つけられました。……

 

 桂三枝は、勘違いしています。

失礼ながら、彼は声に関しては無知なのです。

彼は以前、何年も否何十年も前(?)、テレビのクラシック音楽番組に於いて、素晴らしい歌声(クラシック的)を持つ落語家として、シューベルトの歌曲などを歌って賞賛されていました。

数年前は、和田アキ子がその種の声の持ち主としてテレビ朝日の「題名のない音楽会」で紹介されていました。

 

 この二人の声は、ちっとも素晴らしい声ではないのです。

40年前に、NHKのテレビで紹介されたイタリアオペラの公演によって紹介された、「イタリアの声(ベル・カント唱法)」が紹介される前は、日本では「ドイツ的発声方法」が珍重されていたのです。

そして、三枝も和田アキ子もこのドイツ的発声法に近いのです。

このドイツ的発声は、発声している本人は全く喉に力が入っていないと思っていても、実際には、若干では有っても喉に力が入っているのです。

喉に若干ながら(本人が意識できないほどの)力が入る事によって、鮮やかで、且つ、軽妙洒脱な口跡は逃げ去ってしまうのです。

 

気の毒な三枝は、この誤った自身の発声方法に気が付かずに、「自分の口調がどうしても古典落語の世界には合わない」と思い込んでいるのです。

三枝の「口調」の問題ではないのです。(「口調」と迄も行っていないのです。)

三枝の誤った発声方法が、彼が枝雀の世界近付く事を阻んで知るのです。

 

 更には、喉に力が入ると音程も悪くなります。

この件に関しては、戯作家の松崎菊也が『週間金曜日2004.1.16』に次のように記述しています。

(誰が読んでも「WA子」は「和田アキ子」と思います。)

「女王」と呼ばれるヒト

紅白歌合戦を見た……

日本のリズム・アンド・ブルースの女王」と司会者から紹介されて自ら領いたWA子のひどかったこと!

 たしかに8ビートでエイヤ、ドワンと投げ捨てるような歌い方をするが、投げ捨てて少し下がったまま音程は戻らない。年々ひどくなるのに、「女王」だもの。誰も進言しないとみた。

「先生!」と呼ばれ続けて、ついには自分を先生だと思う政治家やら作家やら。

 おそらく誰からも進言されないヘタクソが大手を振るのと似ている。

ニックネームは敬意で付いたり、へつらいの裏返しで付いたり。この「女王」の場合はどっちかね?

 こんな歌をリズム・アンド・ブルースだと言って衛星なんかで全世界にお届けしている放送局の感性を疑う……

 

 勿論、枝雀といえども、初めから優れた発声方法をマスターしていた訳ではないようです。

彼が「桂枝雀」と名乗る前の小米」時代のCDの声は、未だ、未熟に聞こえます。

一方、「桂枝雀落語大全第16集」では、枝雀は、かつてテレビで「達者でな」を一緒に歌わせて貰った事を歌手三橋三智也に感謝して、嬉しそうな表情をしている場面が映っています

そして、枝雀は“私も今お稽古に通っていますが、「身体を楽器にしなくてはならない、身体を共鳴させなくてはならない」と聞きましたけどそうらしいですね”と三橋三智也に語っています。

枝雀の習っていた歌の先生の発声が、どうであったかは別としまして、枝雀はそれなりに身体を使って声を出す事を会得していたのではないでしょうか?

 

 実際には、どのようにして会得したかは、判りませんが、喉ではなく身体を使っての発声をマスターした枝雀は、心の動くままに声が出てくるようになって、彼の表現力が無限と思える程に広がって行くのだと思います

 

 更に、桂枝雀が私を引き付けたのは、彼の真摯な生き方です。

枝雀が、テレビなどで、“私は、「いつも働かざる者食うべからず」の言葉が頭にこびり付いています”旨を語っていたのを記憶しています。

この生真面目さが、彼を、「英語落語の世界」へ駆り立てたりもしたのではないでしょうか?

 

 そして、この生真面目さが、悲しい事に、彼を、又、別の世界に導いてしまったようです。次のホームページからこの点を抜粋させて頂きます。

http://www.kanshin.com/index.php3?mode=keyword&id=13711

 

落語家桂枝雀はその生真面目さから極度の鬱となり1999年4月19日に自殺した。

今日の日経新聞“私の履歴書”で師である桂米朝が枝雀の自殺について触れている。哀れでなぜか胸を打つ。

以下、要約。

枝雀は襲名直後から鬱に悩んでいた。ある時は地球滅亡を信じるようになり、話しの枕で地球からロケットで脱出するとなると役に立たない落語家が最後ですな、と言っては客から笑いをとっていた。しかし当の本人は真剣だったのだ。(何を笑ってまんねん)「これホンマの話しでっせ」とついに高座で泣き出すのであった。

 

 即ち、

「働かざる者」=「落語家」=「役に立たない」


 と云う彼の死への方程式が確立してしまったのかもしれません。

 

とても残念です。

枝雀自身が高座で「落語は緊張と緩和」と云いつつ実生活では「緩和」が困難だったようですから、枝雀は、鬱に陥った時は、米朝(私には、枝雀よりもっと生真面目に思えます)から離れて、三橋三智也の処へ行き楽しく一緒に歌って貰って「緩和」を味わっていたら良かったのにと思わざるを得ません。

 

 同じ落語家なら、古今亭志ん生を訪れられたら尚、「緩和」を味わえて、良かったろうにとも思います。

なにしろ、志ん朝は落語の登場人物そのものの生活を送っていたように私には思えます。

その一例を、『男の生き方 四十選:城山三郎編:文春文庫』から、抜粋させて頂きます。

 

 あたしたち、給金のこと「ワリ」ってますがね、このワリにしてからが、いくらンなるなんてこと考えちゃいけない。手ににぎったやつを「ほらしょツ」ってもらう。こうやるだけなんだから。手ンなかに、いくらはいってるなんて考えちゃいけない。なんでも、くださるものを頂く。「ほらよッ」「有難うございます」これだけ。はいってなくたってしようがない。ヘンな商売だね。

 月にいくら稼ぐなんて、てんでわからない。はいてる下駄が減ってくれば、減ったまんま歩ってる。なんかの動機で買うバカもいるんだけども。しまいに下駄が割れちゃって、裸足で歩いてる。足イ洗って、ひとのうちへあがるんだからね。あんまり、きれいな芸人じゃない。

 

 ずいぶんと飲んだけど、自分から引き下ったのは、双葉山(故人・時津凰)と飲んだ

とき。このときだけは、引き下りましたね。

まだ戦争時分でね、どこへ行ったって、酒なんざないんですから。だいいち、火鉢に火がないしまつなんですよ。築地の吉田家ってうちから双葉山が釆てくれってんですね。

雪の降ってる、寒い晩でした。

出かけていくと、座敷でちゃんこ鍋してるんだ。炭は山のように積んであるし、酒なんか樽で置いてある。ええ、どこ行ったって、一滴だってない時分でしょみんな、お客があれしてくれてるんですね。そいで、ちゃんこでいいかげんごちそうなってるところへ、名寄岩(元大関)がきて、御大がちょいときてくれっていってるっていうんで、行ってみたら、「おお、飲みっこしよう、飲みっこしよう」てんですね。こっちは、そのときもういいかげんできあがっちゃってるんだ。そこへ飲みっこしようってんでしょ、もうヤケだ。「ええ、よござんすよ、相撲じゃないんでしょ」って、やりだしたんだが、てんでかなわない。

こっちだって、飲むのは相当はやいんだ、ギュウゥと一息でやるてえところ、むこうは、クッと、これだけでやっちゃう。ヒャツ、ヒャツてなもんでね、なにしろ手が大きいから、一合くらいはいるコップで、ヒャツ、ヒャツ。

 なん杯飲んだかしらないが、とてもかなわないてんで、「すいません、負けました」っておじぎしちゃった。相撲とりと飲んじゃ、あわないですよ、なにしろ、でかいんだから。

 そんとき、あたしは紋付袴で、足駄はいてったんだ。帰りに、上からモンペはこうと思っても、ヘベれけで足がはいらない。しようがねえから、あるものひっかかえて、出たとたんに、ピシッと、足駄の鼻緒切っちゃった。こういう、つまんないことは、じつによく覚えてるもんですな。足駄を片方だけはいて、片方もって歩くというのは、またじつにどうも、歩きにくいもんで。

 どうにか、銀座のほうまで歩ってきたけど、その時分だから、車もなけりや宿屋もない。しようがなくって、演舞場のそばの、大野屋って足袋屋の縁台にひっくり返っちゃった。

 そうしたら、運よく、そこに神明町行きの赤電(終電車)が来たんだ。そいつに乗ったら、混むの混まないの、「もう乗れねえ」っていいやがるから、「乗れねえってやつあるかい、この野郎」なんていうと、なにしろヘベれけで、泥だらけなもんで、みんなよけてっちゃう。そんな思いして、うちへやっとたどりついて、土間からはいあがったとたん、かかァに二十ひっぱたかれちゃった。こういうときに殴らなきゃ、殴るときがない。

 

 この様な志ん生なら、

「働かざる者」=「落語家」=「役に立たない」

との枝雀の死の方程式を持ち込んでも、

「働かざる者」=「落語家」=「役に立たない」=「目出度い事だ」

との方程式に書き換えて貰えたでしょう。

 

 まともな世界では、役に立たないような人物が生き生きと活躍する落語の世界、「役立たず」こそが「落語家の真骨頂」と云った具合に演じ続けたのが志ん生のように私には思えるのです。

 

 そして、昔、6球スーパーラジオで聴いた志ん生の声は、随分汚い声だったと記憶していたのですが、今改めて志ん生のCDを聴くと、とても無理のない表現力のある声に聞こえます。

 

 でも声の良さと云ったらなんと言っても、志ん生の息子さんの古今亭志ん朝です。

なにしろ志ん朝の口跡を聴いているだけでよい気持ちになります

そして、落語の主人公が間近に生活しているのですから。

「鬼に金棒」です。

更には、「べらんめえ調」が実に自然なのが心持ち良くしてくれます。

私の周辺には、神田に生まれて神田に育って、今でも神田に住んでいる友人はほんの数人しかいません。

(皆、私同様に神田を去ってしまっています。)
それでも、今も、昔の場所に住み、有名な神保町の古本屋の店主に収まっている2、3人の友人でさえ江戸っ子言葉ではなかったと記憶していますし、又、同窓会などで会ってもその思いを抱けません。

しかも、一緒に学び遊んだ、神田の小中学校時代(560年前)の友人達を思い出しても、彼等の中に、江戸っ子といえるような友人は、数人いたでしょうか?

否!居なかったのでは?

と思える位、今の時代、江戸っ子なんて天然記念物的存在であるのに、立川談志や、春風亭小朝等が、江戸っ子擬きに、無理に「ひ」を「し」と、そして、逆に「し」を「ひ」と発音するのを聴くと、彼等の言葉が空しく響くのです。

 天然記念物的存在でもある志ん朝はこの点も実に自然なのです。
(故意に、「ひ」と「し」の発音変更を加えていないと感じます)。

 

 斯くも貴重で、掛け替えのない存在の志ん朝が、2001年63歳で肝臓がんでなくなってしまったのは、返す返すも残念な事です。

 

 今も、志ん朝の落語のCDを聞きながら、彼の偉業を偲びつつこの拙文を書きました。

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